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学区の役員に「防災懇」の報告をします( ^o^)/

12月の港区防災懇談会への参加を訪問行動で港区の区政協力委員の皆さんに呼びかけましたが、懇談会の事後報告の手紙を手渡すことにしました。2/23の「春のみなと総行動」であらためて委員の方々のお宅に再度訪問します。報告内容は以下ご紹介します。(市職労・港区役所K氏作成)

12月17日の「防災懇談会」では
【区政役員さんからは】
・避難場所として指定できる4階以上の公共施設がない。
・民間のマンションの場合、入居者個人では良くても管理組合となると協力が得られない。
・3階建ての小学校屋上を整備して避難できるようにすることにはなったものの、学校からは「もし昼間で生徒がいれば、子供たちだけでいっぱいになってしまい地域の人を受け入れる余裕がない」と言われてしまった。
・町内会に入っていない住民の把握ができない。個人情報の問題で障碍のある人や寝たきりのお年寄りなど弱者の人の状況がつかめず困っている。などのお話が。

【港湾で働く労働者からは】
・3・11当日、津波警報が出されているのにもかかわらず、会社からは何も指示がなく仕事をさせられていた。
・どこに避難したらいいのか指示もないので、近くの商業施設に避難したら「ここは避難所ではない」と追い出された。

【市立保育園の保育士さんからは】
・避難場所が指定されておらず、とりあえず避難訓練をしようと学校にお願いしたが断られてしまった。やむなく近くの公園で行ったが、乳幼児を抱えて階段を登れるのか心配がある。
などと発言がされていました。

【私たち実行委員会から】
50年前の伊勢湾台風当時の名古屋港の状況と現在の違い、
・輸入の第1位が原木で、高潮で流失し大きな被害をもたらした原因であったが、現在の輸入第1位はLNGであり、3位が原油。輸出の1位が陶磁器であったものが現在は自動車になっている。
・6.5メートルの高潮防潮堤が作られたが、最高2.7メートル沈下している。
ことなどを報告させていただきました。

この懇談会以後のお話として、民間マンションの了解を得られて避難場所として指定ができたことや、避難訓練で学校の協力が得られるようになったこと。
また、港区区政協力委員長会では、国に向けて「防潮堤の改修・コンビナート対策を求める署名」を全町内会に呼びかけて行うことを決めました。

【学区ごとに防災懇談会をしませんか?】
同時に、私たちは、今回の懇談会を開催してみて、「自らの命は自分で守る。そのためにはどうしたらいいか」という地域での話し合いが大切ではないかと気がつきました。
東日本大震災の映像を見るとき、津波で流されたタンクの油が自動車のバッテリーなどから発火して火の海になっているのが映し出されていました。高層の建物に逃れたとしても陸の孤島となり火に囲まれることも予想されます。
名古屋港の場合、地震から津波が押し寄せてくるまでに60~80分の猶予があるといわれています。地震の被害がどの程度出るのかわかりませんが、どう動いたらいいかを理解しみんなで助け合えば高台へ逃げることも可能ではないでしょうか。

そのためにも、防潮堤などの補強と同時に、学区や町内単位で住民の皆さんとの話し合いの場を持ち防災意識を高めることも大切ではないかと考えます。
防潮堤の補強・改修にはお金も時間もかかります。まず出来ることから始めるということで、学区や町内で話し合い、懇談を持っていただければと思います。私たち実行委員会も地域の役員の皆さんからご要請があればご一緒に進めていきたいと思います。
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